I wish that Wonderful Love Again (1971) Ano Subarashii Ai o Mou Ichido. (TO BE TOGETHER AGAIN) Two former members of the Folk Crusaders released a record on April 5, 1971 Lyrics: Osamu Kitayama (ex-Folk Crusaders) Composed by Kazuhiko Kato (ex-Folk Crusaders, ex-Sadistic Mika Band) (English translation of the rough meaning of the Japanese lyrics) Since the day, We swore to love each other with our lives We've been nurturing wonderful memories Back then, We saw the same flower and said it was just as beautiful But now, Our hearts and minds no longer communicate I wish we could have that wonderful love again I wish we could have that wonderful love again Back then, When we sang the song of “the red dragonfly” together Even now, The sky hasn't changed at all The two of us who ran after the sunset that time But now Our hearts and minds no longer communicate I wish we could have that wonderful love again I wish we could have that wonderful love again Now,I'm alone in a wide open field My tears are flowing without my knowing it Even if the same wind blows as it did then The two of us who said then our feelings would never change But now Our hearts and minds no longer communicate I wish we could have that wonderful love again I wish we could have that wonderful love again No. 10 weekly in 1971 (original Confidence Japan chart) No. 46 on the 1971 All-Japan Annual Chart (〃)
改めて拝見するこの動画、また、涙が出ます。。。このコロナ禍、加藤さん歌声、まだ、たくさん聴きたかったです。
この動画の出演者すごい。あの素晴らしい愛は、私の中学時代の思い出の曲です。
旅行で軽井沢プリンスの前を通ると、この景色を最後に見ていたのかなぁって感慨深いです。
学生時代、夏休みの東北旅行中、混雑した列車で、誰かがこの歌を歌い出し、大合唱になったことを思い出しました。
忘れられない青春の1頁ですね。
素敵な想い出、うらやましいです。
懐かしい歌を聞いてます坂崎さんの誰とでも組めるハーモニーも素晴らしいので頭が下がります
日本フォーク史の生き字引
南こうせつとはまるで兄弟みたい。声も酷似してる
最後まで生きなあかん。生きて答えを見つける。難しくて見つからんでも別にいい。生きてたら別にいい。途中で死を選んだらやっぱりあかん。最後まで生きんとあかん。答えは生き抜いて悩んで明らかになって行くのかもしれない。だから最後まで生きなあかん。
今日、映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を観てきました。
加藤和彦さん、「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲を、ありがとうございました。
いま、あらためて聞き直しました。
ただただ涙が流れてきました。
ありがとうございました😊
ご冥福をお祈りいたします。
なんて若い歌声なんだろう!
まだまだやる事は無かったんでしょうか?
改めてこの映像を拝見すると、そう思わずにいられません。
加藤さんの死からもう随分となりますが、
ご冥福をお祈りさせて頂きました。
動画UPありがとうございました。
坂崎さん、これからも、ますます歌い続けて下さいね~☘️🎶
このステージをテレビ放送したものを録画してあります。
加藤和彦さんに、聞くことは出来ないけど、でもやっぱり「どうして、どんな思いがあったんですか」って聞きたい気持ちでいっぱいです。
でも、良い曲をたくさん作ってくれて、ありがとうございましたと言いたいです。
この中には挫折した人は一人もいない!みんな大好き感謝。坂崎さん有難う。心に染みる。
こんな凄いメンバーでのあの素晴らしい愛をもう一度はこうせつのサマーピクニックつま恋ですね。最高でした。加藤さん最後のステージでしたね。
加藤和彦さん!大好きでした。妻籠、合歓の郷、行きました、今もこの歌を聴いて涙💧が止まりません、天国で安らかに;先に逝かれた奥様と又歌を合掌🙏
10月の第三土曜日だったかな?熊本のビジホでテレビつけたらいきなり加藤さんの訃報で驚いたのを今でも覚えてます。
しかし、すごすぎるな、昭和時代にとって、あの素晴らしいあの時代をもう一度と叫びたいね!
このライブ参加していました。何時までも忘れられないシーンです。
加藤和彦のお別れコンサートになりましたね。坂崎さん,森山良子ちゃんノリノリのイルカさんつま恋に泊るたびポスター写真なっかしく見ています。
やっぱり加藤和彦さんは天才だな。
残されたメンバー、いつまでもお元気で❗️
フォークの名曲、この曲は人を勇気づけます。我に帰れる最高の曲です
精神科医の北山修さんにとって親友の加藤さんの鬱病を助けられなかったことが残念がっていた。その話の中で、"joint atention"の話をしていた。今日、私たちはスマホばかり向いて、実世界で同じものに向き合えることがなくなって、心の問題が生まれているという。
attention
その心の問題を解決してくれるのが歌だったんです。だれもがどこでも自然に口ずさみ歌っていた、夢と希望を与えてくれた歌が、いつしかカラオケの道具となり商品化されてしまったことに加藤さんは嫌気がさしていたのでしょうか。
坂崎幸之助さんってちょっと地味で、いつも裏方みたいなポジションだけど、こういうまともな人がいるおかげで周囲が盛り上がるのって凄いと思います。
他のメンバーがまともでは無いみたいな。
坂崎さんの音楽知識とギターテクニックは秀逸です。色んなミュージシャンの歌マネもすごいです。それが縁でフォークル加入でした。大瀧詠一さんにも気に入られてましたね。
坂崎さん器用な方ですもんね。
いやいや、この時点では関係ない。
SNSの難しいとこかな?
てか素直にコメ主はまともな人と言うワードが浮かびあがったのしょうね?余り責めないで寛容したら如何でしょうか、本人が他のミュージシャンがまともじゃ無いなんて一言も言ってないんですから。楽しく行きましょうよ😚
この曲、わたしが小学校ぐらいの時一時期テレビで流れてました。懐かしいです。
加藤和彦さんの作られた楽曲→♯あの素晴らしい愛をもう一度♯は、昭和フォーク🎸の最高傑作ですね。間違いなく昭和フォーク🎸グランプリ曲でした。
令和の時代になっても輝き続ける昭和の名曲ですね。
加藤和彦さんのご冥福をお祈り致します。ありがとう加藤さん
夕焼けの中ずーっと長い道を歩いていくような、素晴らしいサウンドですね!
坂崎さんは偉大だよ。ももクロを支えてくれてありがとうございます。
ほんとに惜しい‥
素敵なupをありがとうございます。
加藤さんの全盛だった1970~1980年頃は、フォーク、ニューミュージック、歌謡曲、演歌など、歌が生活の一部とも言える時代でした。加藤さんの遺書に時代が歌を必要としなくなった趣旨のことが書かれていましたが、それはまさに真実を言い当てているのかと。誰もがどこでも自然に口ずさんで歌っていた歌が、いつしかカラオケなどストレス解消的な道具に用いられ商品化してしまったことに加藤さんは嫌気がさしていたのでしょうか。
昭和のフォークソングを作ってくれた方だと言っても過言ではないかな。加藤さんありがとう。
作ってない
サディスティックミカバンドから音楽の歴史を勉強する感じで今ここに辿り着きました。
この日、この会場にいました。
加藤和彦さん
同じ苗字同じ誕生日の私にとって偉大なる人生の先輩であり私の師と仰ぐ吉田拓郎さんの良き友だと思ってます。
まだまだ新譜を聴かせてほしかったですよね
私も同じ苗字同じ誕生日なんですよ主さんのおっしゃる通りもっと素敵な新譜を聴かせてほしかったですね合掌
確かに加藤和彦さん元気がないようにみえる。なにかひとり浮いて見えるのは寂しいね。大勢でコラボで歌うのはあんまり好きでなかったのかな。加藤さんの死を無駄にせず自分なりにそこから何かを学びたい
新しいもの、カッコいいもの、おしゃれなものが大好きな人で、頻繁にライブする人じゃなかったよね。でも、ミカエラバンドは本当に楽しそうだった
坂崎幸之助さん、自宅が我が家近くにあります。大きい方ですよ。だから、加藤和彦さんも大柄だと思います。
加藤和彦みたいな天才がお金で困って鬱でってのがショックだったな当時。。浪費家でわがままだったかもしれないけど、この国はこういう人が大切にされないんだなって色々考えたよ。
洋楽ばかり聞いてきたけど、日本の歌手も負けてない。これからはこっちだな。
加藤さんの曲に勇気づけられてなんとか生きてこれました。本当にありがとうございます。
あの素晴らしい愛をもう一度、加藤さんの思いではないでしょうか?
あの素晴しい愛をもう一度、一生忘れません、妻恋こんさ〜と🎉
「(最近の若者には)もう(自分の)音楽が要らないんだ」という悩み方をしてらした、とか?
必要とされなければ死んでしまう人の不思議というコトを感じますねえー、、、合掌。
この歌聴くとウキウキします❤
この映像観せて頂き、なんとも言えない複雑で不思議な感じが込み上げてきます。
加藤さんから伝わる、すでに魂が抜けているかの様な虚脱感、虚無感、それでいて後光が差すような穏やかな仏様の様な 微笑み‥
切なさ、やるせなさ、だけでは無い感覚です。
だから結果、加藤さんロスな私的には切ないながらも、この映像観れて 良かったです。
ありがとうございます。
ノブはボクサー
私もそう思います。
かまやつひろしさん、加藤和彦さんの、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
加藤さんて元々、金持ちのええとこのボンボンやったんでしょう。若い頃に成功して地位や名声や富みを築き上げて、老後を余裕で送れたと思いますが...凡人には考えられぬさまざまな苦悩や葛藤があったのでしょうね...。自殺するような人って感受性が優れすぎてるんでしょうね。
合掌。
加藤和彦さんの曲作りはほかの人が真似できないと、思いますがさらにすごいのはきたやまおさむさんが作詞したことだと思います。いまだに語り継がれる作品がたくさんあったということでしょうか?
既に鬼籍に入られている方もいる…寂しいけど、こうやって次の世代に素晴らしい歌を継承していって欲しい
やりたいことが無くなったんじゃない。
やりたいことがあっちの仲間とあるんだよ。
遠い昔の話しなんで正確には思い出せませんが、フォークルの再結成とミカバンドの再結成Liveは近い年数で行われたと記憶してます。それぞれのグループのファン・加藤和彦のファンに最後のご挨拶をして逝かれたんだと当時は思いました。
この曲は私が学生時代に音楽の授業で習った曲ですが、今でも名曲だと思います。その名曲を残して、加藤和彦さんは天国へ旅立ってしまいました。でも坂崎さんや他の歌手の人達が歌っていく事で、この曲は甦るのだなと思います。あんなに良い曲を作曲した加藤さんが亡くなられた事は今でも信じられないけど、曲は残っていくし、今でも坂崎さんが他の歌手の人達と歌い続けているから、それは良い事なのかなと思います。その坂崎さんは今年の4月で60歳になりました。今は元気でいるから安心しているけど、坂崎さんやALFEEがなくなったら、私は凄く落ち込んでしまうと思います。これから先坂崎さんや他のメンバーが何年生きられるか分からないけど、私は応援していきます。
ちなみに加藤和彦さんが亡くなられる前に活動していた和幸(かずこう)というユニットのメンバーがALFEEの坂崎幸之助さんです。
@@user-takako344 和幸、良いユニットだったのに、二枚だけでああいうことになって、むちゃくちゃ残念です。orz
あの素晴らしい 時代を もう一度
間違いなく、日本のフォーク、ロックをけん引してきた人です。楽器に関しても、マーチンD-45や、フライングVを、中学生だった私に、教えてくれた人です。敬意、尊敬の念を込めて、バカヤローと言わせていただきます。
加藤さんもムッシュも、もう居ないし、山本さんも療養中とか?……寂しいけど歌は輝き続けますね😹
もう一度ステージが見たいものです
ぼくはこのつま恋があった町で生まれ育って、つま恋の近くの高校に通った。 けれどもコンサートを見る機会はなかった。 フォークルが突然現れたのは、上京した年だったし、つま恋ができたのは、それよりもっと後だった。
正しく、青春の歌です。未だに同窓会ではこの歌で盛り上がります。
でもね、加藤さん、早すぎだよ!もっと俺達の青春を歌って欲しかった!
どうにかなるさ。
初めてギターを買い、この曲を弾けたらかっこいいな!というのがそのときの気持ちです。それからは毎日3フィンガーの練習にあけくれていました。今加藤和彦さんの最後のステージを見て本当に複雑でで残念です。またギターをひきはじめましたが、まず声がでないのです。でもがんばりたいです。
やっぱり、自殺って病気や事故で死ぬより悲しいよ。
坂崎さんがラジオでも仰ってたけど、加藤さんこの頃にはいつ頃この世を去ろうと心に決めてたそうだ。
死んだこと自体より死のうと思ったことが悲しくて辛いな
福知山線の電車事故で亡くなった人達は自殺した人より悲しく無いのかな。
@@tydeentetuota5514そっちの話題になった時は、「こっちの方が悲しくてやりきれない」と言えば良い。たいこ持ちはお座敷を使い分ける。
懐かしいです、この歌は学校で習いましたよ。子供の頃、歌いました。教科書にはない歌なはずですが、歌いました。確かに…体育館で音楽の先生が舞台で指導しながら全学年で歌いました。不思議な一体感でした。
土井あっちゃんの
今でも復興などで歌われて欲しい歌ですね!
今まで、こんな動画があるなんて知らなかった。
このつま恋のコンサート行きました。加藤和彦さんがイムジン河を歌ってくれたり、子供のころテレビで見てた人を目の前で見られて感動したことハッキリと覚えています。
1ヶ月後亡くなったのをニュースで知りとてもショックでした。
自宅近くで行われていた野外イベント。あの時、行っていればよかったなって思う・・・。
『和幸』のコンサートも行ったし、CDも購入しました。今、こうやってみると、加藤さんの声をまだ生で聴きたかったなって思います。
加藤さん確かに元気無いよな、覇気も感じない具合悪かったンだろうなとにかく残念だね
松山千春が参加してるのですね。驚きです。
涙が出ました。
老いは人の感性を失わす。アーテイストにとっては耐え難い、死にたいと思う人もいるのだろうな。
歌って、最高‼️
加藤さん、何故荒野をめざさなかったの…涙。
そりゃ作詞は五木寛之だかなあ
そうか、、ムッシュもこの時は居た🤦🏻♂️
泣けてくる
かずみさんの所へいかれたのかしら…
さみしくてさみしくて
憧れのお二人でした。
お洒落でアグレッシブで
まるで別世界の人達でしたよ。
でも大好きでした。
ご冥福をお祈りします…
そうですね!
とても、素敵なお二人でしたから
かずみ夫人が、呼んだのかも知れません。
この曲を最初に聴いたのが小学3年という世代なんですが、牧歌的な曲調と悲痛な歌詞の違和感が最初から拭えず、どうも苦手だった。
メロディは文句無しに素晴らしいんだけど。
今でも、どう聴いたらいいか、解釈が分からない曲です。
北山修、はしだのりひこの三人でもやって欲しかったな。
最後の加藤さんの笑顔、、、
俺がこの「あのすばらしい愛をもう一度」を聞いたのは高二の頃だった。
あの時も、今もそう思う時がある。
中々埋まらない溝って有るもんだね。
期待だけを背負ってはいるんだけどね。
最後に南こうせつさんの呼びかけで歌う時に加藤さんが坂崎さんを盛んに隣の席にさそっているのがとても心に残っています。
0:43 坂崎さん「ちょっと何か元気がなかった気がした」その1ヶ月後に加藤さん亡くなる。ステージできるほどの体力はあったのに…。先月会った親を想い出している。
加藤和彦さん、誕生日🎂おめでとう㊗️ございます。僕は、貴方が好きです。
物凄いメンバー
そうそうたるメンバー
全ての人が
心がひとつになり
大合唱
これこそ
あの素晴らしい愛を
もう一度~🙆
安井かずみが亡くなってからの彼は脱け殻みたいでした
感謝
I wish that Wonderful Love Again (1971) Ano Subarashii Ai o Mou Ichido. (TO BE TOGETHER AGAIN)
Two former members of the Folk Crusaders released a record on April 5, 1971
Lyrics: Osamu Kitayama (ex-Folk Crusaders) Composed by Kazuhiko Kato (ex-Folk Crusaders, ex-Sadistic Mika Band)
(English translation of the rough meaning of the Japanese lyrics)
Since the day,
We swore to love each other with our lives
We've been nurturing wonderful memories
Back then,
We saw the same flower and said it was just as beautiful
But now,
Our hearts and minds no longer communicate
I wish we could have that wonderful love again
I wish we could have that wonderful love again
Back then,
When we sang the song of “the red dragonfly” together
Even now,
The sky hasn't changed at all
The two of us who ran after the sunset that time
But now
Our hearts and minds no longer communicate
I wish we could have that wonderful love again
I wish we could have that wonderful love again
Now,I'm alone in a wide open field
My tears are flowing without my knowing it
Even if the same wind blows as it did then
The two of us who said then our feelings would never change
But now
Our hearts and minds no longer communicate
I wish we could have that wonderful love again
I wish we could have that wonderful love again
No. 10 weekly in 1971 (original Confidence Japan chart)
No. 46 on the 1971 All-Japan Annual Chart (〃)
加藤和彦さんは本当に残念です
私は基本ロックですが、今もこの人の曲は聞きます。
歌い継がれる曲があります。
坂崎幸之助がフォークル再結成解散コンサートで北山修に「こぶのないらくだ」を、歌い継がれない歌です😁。と話しますが、こぶのないらくだは良いです😁。
歌は残りますからね!
確か、加藤和彦さんの遺書には、「もう、人生でやることがなくなった」と。それと死は、イコールで結ばれるとは、思わないけど。
松山千春みたいなおっさんいるなあと思っていましたが本物なんですね。
松山千春さんも見た目のイメージと違って鬱病に悩まされたと聞いた事があります。
加藤和彦さんはフォークル、サディスティックミカバンドと全然違う音楽を格好良く素晴らしい曲を作ってますよね。
私も少し鬱病がありまして何もできない虚無感におそわれます。
加藤さんが亡くなられた時は何でこんなに好きな音楽をして格好良く成功もしてたくさんの仲間もいるのに惜しいなあもったいないなあと思いました。
今は加藤さんの気持ちが少しわかる気がします。
おそらく自分にはもう何もできる事がなくて、友人がいない訳ではないですがひどい孤独感にさいなまされて生きて行くのに苦痛しか感じられなかったのではないかと思います。
加藤さんはただ生きて素晴らしい曲をありのまま歌ってくれるだけで良かったのですが。
サディスティックミカバンドは名前しか知らなかったですが、当時の映像を見てビックリしました。
こんなに先進的なバンドが日本にあったとは。
今日「3月21日」は「加藤 和彦さん」の「誕生日🎁🎂」だけど残念ながら既に亡くなられてしまったので私は凄く寂しいですよ❗
シェアさせて戴きます。
『つま恋』無くなっちまったな。
今年の1月だったかな
産經新聞にきたやまおさむさんの
ひと月に渡るインタビューが掲載されたの。
その中で加藤和彦さんの最期に関する内容は
なかなかに衝撃的でした。
加藤さん、最晩年は鬱だったとか・・・私は辛うじて乗り越えましたが、自分も鬱だった経験を共有させてください。
老人性鬱だとか解説は色々あるとは思います。
ただ、言えるのは、鬱はつらいと言う事。
患者本人が理屈で説明できることはなくて、調子が悪い時はただ沈むしかないのです。
薬が効いたりすれば楽になるときはあるけど、何の理由もなくポジティブシンキングができなくなって、訳もなく居なくなりたいと思う時もあります。
幸い私は妻の支えで何とか乗り越えられて、20年近くの歳を重ねられましたけれど。。。
真相は闇の中ですが、加藤さんの調子が悪かった時、運悪くたまたま周囲に誰も居ないバッドタイミングだったのかも知れません。
良いも悪いもありません、残された我々は、ただそっと加藤さんの作品を聞いてあげたら良いと思うのです。
同じグループの北山修さんは
京大の精神科医でしたね…
無念です…。
@@桜吹雪-c1vいやいや、北山氏は九州大学大学院教授-現在は名誉教授、白鴎大学長😮
唯、卒業医学部は京都府医大!
どんな思いで家を出て長野に行ってホテルに入ったんだろう。
もう楽になれると思って頑張っていったんだろうか
大滝詠一さんの死に様は家族団らんでポックリ逝ってまさに『幸せな結末』だけど殿ヴァンは…(ノД`)シクシク
涙が出たよ…。ToT
和幸のアルバムは出て直ぐに買ったよ😃映像が残る時代が僕は嬉しく思うが、変な動画も残ってしまう😭
わからないですね。
ある意味、それが人生かもしれません。
癒せる立場になれればと思います。
最後のステージは同志社の寒梅館だと思うぞ あのとき加藤は三線一本で「悲しくてやりきれない」を演奏した とたんに会場がしいいんとなった 聴衆の数は三十ばかり 鳥肌が立った 坂崎の知らない加藤こそホンモノの加藤だとそのときに悟った
加藤和彦さん いつまでも大好きです。
心が通ってない昔の人と昔の歌うたうって、精神的にこたえたんでしょうかね。
あの世に行っちまったぜぃ。悲しい。ドラムは古澤良次郎じゃないよね。
この1ヶ月後に死ぬって言い方、なんか嫌です。😔
俺も
私も
全くもって失礼極まりない言い方ですね。
同じく
気持ちはそうだけど、たんに現実。
フォーク時代を大くくりしたとき、多くのアーチストの中から自然に浮上してきて大定番になった名曲。
最大公約数的存在と言ってもいいのかな。